サブカルチャー

サブカルチャーという言葉は至極曖昧な定義であると実感した。それは現代においてマジョリティとマイノリティが混濁した文化を持っているからである。サブカルチャーとは本来そのマイノリティに目を向けたものだが、マイノリティにはマイノリティなりの人間らしさがある事を肯定されている時代の渦中に今私たちは置かれている。その人間らしさ溢れる、飾らない世界で作られた作品は当然本来平民としてはマジョリティなのにマイノリティの立場に置かれてきた者達の心を強く打った。それがE.プレスリーを始め、現世にまでいい影響をもたらしていることは間違いないのであろう。して私たち若者はマイノリティ溢れる世界に生まれ落ち、マイノリティに触れて育った。当然、人間らしさ溢れる世界、作品の良さは知っているつもりである。だがしかし、そこから逸脱しているはぐれ者たちの存在も至極曖昧であると思う。シカゴ学派はそこに価値を見出し研究したが、私たちから見れば何ら変わりのない同じ感性を持った人間なのだと思う。しかし善は善、悪は悪であり常人の基準から判断したそれはマジョリティの基準から判断出来るものではなく、マイノリティの多数の人々の善悪の判断が行使されるべきであると思う。私は、マジョリティとマイノリティの境界線を完全に融解される事が、初のマジョリティの台頭が持った意味だと考えている。